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2016年3月

2016年3月27日 (日)

「 独裁者と小さな孫 」

映画 「 独裁者と小さな孫 」    監督:モフセン・マフマルバフ

 2014年/ ジョージア(グルジア)、フランス、ドイツ / ジョージア語

2016年3月20日 新百合ヶ丘・川崎アートセンター・アルテリオ映像館にて

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               http://dokusaisha.jp

おそらく、多くの日本人が「ジョージア」という国名には、いまだに馴染めないんじゃないだろうか。 英語読みの「ジョージア」だとどうしてもアメリカ合衆国の州名とか、あるいは缶コーヒーのブランドと混同してしまいがちだもの。 「グルジア」のほうが「見知らぬ国」の響きがあっていいじゃんと思うが。 当のグルジアが「ジョージアと呼んでくれ」というのだから仕方あるまい。 やっぱり国名としてはなじめないが。。

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「独裁者と小さな孫」。この映画はイラン出身のモフセン・マフマルバフ監督がジョージア(グルジア)で撮った、架空の独裁政権の国が舞台の物語だ。
ある日、クーデターが起こり、老いた大統領は幼い孫と逃亡の旅にでる。
変装で素性を隠しながら、2人は海を目指す。
そして逃亡の果ての運命と衝撃の結末、、。

原題は「THE PRESIDENT (大統領)」。 これは邦題の付け方が上手いですね。
「独裁者と小さな孫」。つまり冷酷な独裁者だった老人の逃亡劇に、何も知らない無邪気な孫が一緒にいる、というのがポイント。 
その幼い子供が「死」と隣り合わせという状況。 たぶん独裁者ひとりだけの逃亡劇だったら、鑑賞者もそれほど感情移入できなかったんじゃないだろうか。

逃亡の旅のなかで初めて自分の大罪を知る独裁者。

そして抑圧から解放された人間もまた残酷で欲深い。特に独裁政権側にいた軍人たちの。

しかし、政権に囚われていた「政治犯」の男がこう言う。

「復讐から生まれた民主主義が何になる!」

「殺してしまうのは、暴力と憎しみの連鎖を断つことができないだろ。また同じことの繰り返しだ!」

 じゃ、どうすればいい?

最終的に独裁者と孫がどうなったのか、はっきりと描かれていないが、祖父と孫が作った「砂の宮殿」が波にさらわれて崩れるシーンは見事だった。

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付記: 音楽が豊か。 クラッシックだったり、フラメンコだったり、ジプシーミュージックだったり。 それだけに唯一残念だったのは、逃亡の独裁者が旅芸人に扮するためにギターを盗んだはいいが、それを手に孫に躍らせて演奏するシーンでは、スタジオレコーディングの音を被せてしまいちょっと興ざめ。下手でもいいから生音(ライヴ)で収録すればグッとよかったのにね、と。

2016年3月21日 (月)

「 恋人たち 」

映画 「 恋人たち 」   2015年 原作・脚本・監督 橋口亮輔

 2016年2月26日  川崎アートセンター・アルテリオ映像館にて

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                               http://koibitotachi.com

たしか毎日映画賞だったか、作品賞とって、2015年の日本映画で称賛されまくりの映画。
「ぐるりのこと」から7年ぶりの橋口亮輔の長編監督作です。

通り魔殺人事件で妻を失った男、アツシ。
退屈で平凡な暮らしの中、突如現れた男に揺れ動く主婦、瞳子。
同性愛者で完璧主義者のエリート弁護士、四ノ宮。

この主人公の映画ですが、正直な感想をいうと140分で3人の主人公はいらないです。
「アツシ」1人の、絶望と失望と慟哭と、それからかすかな希望の物語で充分に感動できて、
それであとの2人のストーリーはいらない。 余計です。 個人の感想ですが。

なので、DVDになってもう一回観るときは、「アツシ」のとこだけ観てほかのエピソードは飛ばしてしまうと思う。

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                          ・

通り魔に妻を殺されたアツシは首都高速の橋梁点検の仕事をしている。 機械よりも正確な聴力を持つ彼はコンクリートをノックした反響音で破損個所を探り当てることができる。

川の中に立つ橋梁点検のために、小さなボートで川を進んで行く。 この風景は芝浦とか汐留あたりだろうか。 頭上の高速道路に挟まれた「空」を見上げる姿に、「社会の底辺」感を演出しているのかな、と。 こう書くと、そういった大切な仕事をしている方にとても失礼だ。

橋口監督はオーディションで選んだ無名の俳優に合わせて脚本を「アテ書き」しているだけに、演技が真に迫っていてすばらしい。

絶望の中、憎い犯人を殺すことも、浴室で自分の手首をカッターで切ることもできず、捨て鉢になって薬物に手を出すが、売人から買ったそれは偽物で、、、

欠勤が続くアツシを職場の上司が訪ねてくる。 この室内の会話にシーンは感動的だ。

「俺、本当に犯人殺したいです! 
法律が許さなくても、世間が非難しても、神様はきっと許してくれると思うんです、、、!」

 上司は静かに言う。

「殺しちゃだめだよ。 殺したらこうやって話せないじゃん、、 
 あなたともっと話したいと思うよ、、」

、、、たぶん、人は人と話すことで救われるのだ。

「 アンジェリカの微笑み 」

映画 「アンジェリカの微笑み」 2010年 ポルトガル 

監督・脚本 マノエル・ド・オリヴェイラ   

2016年2月5日(金) 新百合ヶ丘 川崎アートセンター・アルテリオ映像館にて

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2015年に106歳で亡くなった「現役最高齢映画監督」、マノエル・ド・オリヴェイラが2010年、101歳の時に撮った作品が日本初公開。

しんゆりでの公開最終日、20:00の回に観た。

           http://crest-inter.co.jp/angelica

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ポルトガルの小さな町。カメラが趣味の青年イザクは、ある夜、若くして亡くなった娘の写真撮影を依頼され、町一番の富豪の邸宅を訪れる。 花束を手に横たわるその娘アンジェリカにカメラを構えると、娘は突然瞼を開いて微笑みかける、、

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物語の時代設定がわからないのだけれど、「オリヴェイラ監督が1952年に脚本を執筆したものの、映画化されないまま半世紀以上、、」とあるから1950年代かそれ以前の設定かもしれない。 だって現代だとしたら「雨の夜に写真が趣味の他人をたたき起こして、亡くなった娘の写真を撮りに来させる」というのはだいぶ無理がありますって。。
、、でも出てくる自動車や都会の風景は現代なんだよなあ。。

とにかく主人公の青年はカメラを構えたファインダーのなかで瞳を開いて微笑んだ、絶世の美女の心奪われてしまう。昼も夜もアンジェリカに想いを馳せる青年イザク。
、、、その姿は哀れを通り越して、滑稽ですらある。

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「幻の美女の虜になる青年、または少年」というと、ひとつ思い出す映画がある。

それが「わが青春のマリアンヌ」 (ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1955年、フランス・ドイツ)だ。

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「アンジェリカ」と「マリアンヌ」はストーリーも結末も違っているが、「幻の美女に心奪われる主人公」という設定は同じだ。
「アンジェリカ」の脚本執筆が1952年、「マリアンヌ」公開が1955年でだいたい年代も同じくらいだが、それぞれの監督がそういう方向にあったのは奇遇だなあ。

ちなみに「わが青春のマリアンヌ」は漫画家の松本零士が大絶賛している。
「新旧含めてこれを超える映画はありません。創作活動に多大な影響を受けました」とまで言っている。
なにしろ松本零士作品の「髪の長い美女」の原型は「マリアンヌ」なのだから。
また「わが青春のアルカディア」という漫画も描いてるくらいだから、そうとうな入れ込みようだ。 

松本先生に「アンジェリカの微笑み」観てもらったらよかったのに、とかちょっと思った。

                         ・

ちなみにジ・アルフィーのヒット曲「メリーアン」はマリアンヌ(Marianne)の英語読み。
歌詞は「わが青春のマリアンヌ」のストーリーほぼそのまんまです。

品揃えのいいTSUTAYAなら置いてあるので、興味がある方はご鑑賞ぜひ。

 

2016年3月20日 (日)

「 消えた声がその名を呼ぶ 」

映画 「消えた声がその名を呼ぶ」   監督:ファティ・アキン

 ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・カナダ・ポーランド・トルコ 2014年

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この映画は1月24日に新百合ヶ丘の「川崎アートセンター・アルテリオ映像館」で観た。
うわっ、もう2か月近く前ではないか。。。

このブログでは、僕が観た映画の感想などについても、短い駄文を書き散らしているが、実をいうとここで取り上げていないままの映画のほうが近頃は多かったりする。

もう劇場公開が終わってしまった作品も多いかもしれないが、そんな映画も良い作品については書き残しておこうかと思います。

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1915年、オスマン・トルコ。 トルコで最大のタブーと言われる(全然知らなかった)トルコ人によるアルメニア人虐殺。
強制連行されたアルメニア人鍛冶職人のナザレットは処刑場で喉を切られるが、処刑人が罪のない人間を殺すことに躊躇したため傷は浅く奇跡的に生き残るが、声を失ってしまう。やがて戦争が終わり、そして娘が生存していることを知った彼の旅が始まる、、、
トルコの砂漠からレバノン、キューバ、フロリダ、ノースダゴタへの地球半周、8年。 辿り着く先には 、、、

「声を失う」というのは象徴的だ。 アルメニア人大量虐殺についてはトルコ人も触れてはいけないし、アルメニア人も話してはいけないことだから。

凄惨な殺戮と暴力の描写と、土地を追われたアルメニア人の地獄のような難民キャンプの光景の描写は凄まじい。 娘を探す旅に出る後半はちょっと緊張感が緩んでしまう感じはします。 物語は「8年におよぶ旅」らしいのだが、その時間の経過はわからなかった。僕だけかもしれないが。 
撮影は見事。美しい風景と最低のゲスな人間と救いの手を差し伸べる慈悲の人々と。

後半、退屈なところもあったが、ラストには感動した。

           www.bitters.co.jp/kietakoe

2016年3月15日 (火)

カラヴァッジョ展

 カラヴァッジョ展  2016年3月1日(火)~6月12日(日)

  国立西洋美術館  http://caravaggio.jp

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3月6日(日)に上野の国立西洋美術館に「カラヴァッジョ(1571-1610)展」を観に行った。

今年は「日伊国交樹立150周年だそうで、都内ではすぐ近く、同じ上野公園内にある「東京都美術館」では「ボッティチェリ展」、そして両国の「江戸東京博物館」では超ビッグネームの
「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」展が開催されている。

そのボッティチェリやレオナルドなどのルネサンスのビッグネームと比べてしまうと、いまいち
一般の知名度が足りないせいか、日曜日の美術館だというのに、それほど混んでいなかった。 ま、そのほうがいいけど。

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展覧会出品の51点の内、カラヴァッジョの作品は12点。 
その他はカラヴァッジョの画法に影響を受けた画家たち(カラヴァジェスキ)の作品が展示されている。 なのでカラヴァッジョとその他の画家の作品を比べてみると、技術的な「格の違い」がはっきりとわかります。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ。
ルネサンスの彫刻家、ミケランジェロに対して美術史上の「もう一人のミケランジェロ」ともいわれたりする。 (ちなみに「3人目のミケランジェロ」は映画監督のミケランジェロ・アントニオーニということで)

この画家の闇の中からスポットライトをあてたような劇的な明暗に浮かび上がる人物の表現はヨーロッパ中の画家に影響を与えた。 たぶん、カラヴァッジョがいなければレンブラントの「夜警」などの傑作群もない。

それと僕が興味惹かれるのが、この画家の人生、気性の激しさゆえの破滅型すぎる生涯。

なにしろ暴力沙汰を繰り返したあげくに、殺人を犯しローマから逃亡、放浪の果てに38歳で野垂れ死にしたという。

殺人を犯してからも作品は描き続けたが、殺人後の作品のほうが絵に異様な凄みがあるように思える。

そんな時期のいちばんの話題作が世界初公開の「法悦のマグダラのマリア」(1606年)。

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なぜ「世界初公開」か。 この作品は死後400年以上所在がわからなかったのが、2014年になって個人コレクターのもとで発見、そして真作鑑定が認められた。
そして今も美術館などのパブリック・コレクションではなく「個人蔵」のため、一般の目に触れるのはこの上野の展覧会が初めてなんですね。
オープニングレセプションでは海外メディアもこの絵の前に貼りついていたそうだ。

カラヴァッジョは亡くなるまでこの絵を手放さずにいて、一説には殺人事件の恩赦を受けるためだったともいわれる、いわくつきの作品だ。

この作品、今展覧会の最大注目作なのに、昨年作成、配布されたチラシには載っていない。 思うに、ギリギリまで所蔵者との間に貸出交渉などがまとまらなかったのではないだろうか、などと考えてみる。

無法者がどうしてこんなにも、美しい絵が描けたのか。

印刷物では何度も作品を観てきたものの、初めて実物を観て、さらに好奇心を掻き立てられます。

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